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- 2014.03.05 Wednesday
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安倍首相が靖国神社に突如として参拝してから1週間が経ちました。
この間、中国、韓国両政府からの非難は言うまでもなく、米国政府からは「失望」という、同盟国に対する表現としては極めて強い表明されたことは、周知のとおりです。
直接的に関係のない多くの国にとって、他国同士の緊張関係に巻き込まれるのは、得策ではありません。ゆえに、政府レベルで何らかの意見を表明することは、ほとんどの国がしていませんが、皆無ではありません。公式の反応として目立ったのは、最近安倍首相が接近を図っているロシア政府の反応でした。やはり26日、外務大臣のスポークスマンが「遺憾」の意を表しています。これに加えて、EUからも早い反応が出されました。26日の声明では、「この行動が地域における緊張を和らげたり、隣国なかでも中国、韓国との関係を改善するものではない」「EUは関係国に対して、信頼関係を支え、緊張を和らげ、地域の長期的な安定を担保する、肯定的で建設的な結びつきのために協力することを求める」と続きました。
直接関係ないとはいえ、これらの国・地域からみて日中、日韓の関係が悪化することは、例えばG20での協議がさらに難航するなどの弊害が出るため、少なくとも好ましいことではありません。のみならず、ロシアも、EUのほとんどのメンバーも戦勝国である以上、日本-中国・韓国の相互の主張内容の是非はともかく、大戦に関する彼らの認識そのものを否定しかねない靖国参拝は受け入れがたいでしょう。その意味においても、これらの反応は全く不思議ではありません。
これに補足して、確認できた範囲で目を引いたのは、ドイツ政府の反応でした。12月30日、メルケル首相のスポークスマンは記者会見でこの問題を問われ、「日本の内政に関してコメントはしたくない」と前置きしたうえで「一般論として、全ての国は20世紀の災厄における自らの役割について、ふさわしい行動を誠意をもってとるべきだ」と続きました。
一方、海外メディアはこれをどのように伝えているのでしょうか。言語と人手の問題から、決して体系的でも網羅的でもありませんが、しかしこれに関する海外メディアの報道の瞥見からでも、おおよその傾向は掴むことができます。以下に主だったところをレビューしますが、中国、韓国については、言うまでもないことなのでスキップします。
靖国神社に関する解説を踏まえて、これが米国にとっての新たな懸念となるという論調で伝えています。
中国外相による安倍首相への批判を掲載し、そのうえで尖閣諸島問題がこれでより一層エスカレートしたと伝えています。最後に、安倍首相の主張を掲載しています。
タイトルそのままなので詳細は割愛。
安倍首相の反動的傾向への懸念を示し、参拝によって東シナ海をめぐる日米韓の連携に水がさされたと批判しています。
安倍首相の、靖国参拝が政治的な問題になること自体への不満や、「不戦の誓い」といった主張を紹介。首相が参拝を自制するようアドバイスを受け、これを守っていたが、中韓との関係改善への期待が乏しい中にあっては、遅かれ早かれ参拝するだろうという観測があったと伝えています。そのうえで、中韓の反発をそれぞれ伝えています。
なぜ、このタイミングで安倍首相が靖国に参拝したかに関して、中韓の指導者が日本政府と協議していない点に注目し、そのうえで「逆説的だが、このような中韓からのプレッシャーが安倍氏に靖国参拝をグッドアイデアだと思わせた(Paradoxically, it is Chinese and South Korean pressure on these fronts that has allowed Mr. Abe to think a visit to Yasukuni is a good idea.)」と分析。安倍首相の最終目標を憲法改正と捉え、その目的のためのステップを踏み始めたと述べ、そのうえで中韓政府に日本との協議に応じるよう提案しています。論調としては、米国自身が日本の右傾化を望ましくないものと捉えており、他方で中韓がその隙を与えてしまったという批判です。
靖国神社への参拝に関する中韓の反発を紹介したうえで、多くの批判があるなかで特定秘密保護法を成立させ、無人機計画を含む防衛計画の策定などを安倍政権の右傾化と表現。中国の台頭に対抗するパートナーだった日本は、米国政府にとってもう一つのアジアの問題となったと述べています(But rather than become a stable ally, Tokyo has become another Asian problem for American officials because of its quarrels with Beijing)。
近年の領土問題、歴史問題、さらに靖国神社をめぐる中韓の批判の要旨を伝えたうえで、日本と中韓の経済関係にどのような悪影響がでるか予測できないと述べています。また、専門家の意見として、安倍首相は順調な景気回復に基づく高い支持率が、特に保守的な支持層の間で、靖国参拝をめぐる批判を抑制できるという計算があったとも伝えています。
安倍首相は中韓からの批判や米国の「失望」のリスクを承知しながら、日米の同盟関係の強さをはかっていると分析。首相に近い外交筋の発言として、「米国が将来的にも我々の同盟国かって?もちろん」「国民の関心は経済、収入、社会福祉、そういったもので、対外政策は投票に決定的インパクトをもたない」。一方、米国外交筋の表現として、「靖国参拝が米国政府に提起しているのは、アジアにおける同盟国、パートナーとしての安倍首相の信頼性を決定することだ」。
靖国神社そのもの、および靖国神社をめぐる日本、中韓の対立点などについての解説記事。極めて中立的な書き方。そのうえで、この参拝で日本-中韓の関係がより深刻なものになるという、至極妥当な予測を掲載。
安倍首相の参拝そのものは、そのイデオロギー的立場や言動からして、さほど驚くべきことでないかもしれないが、ほとんどの人がこのタイミングで参拝すると予測していなかったと述べ、普天間基地の移設問題にめどがついたことで、最も懸念されるとみられる米国との関係上、首相に参拝の道が開けたという見方を紹介。そのうえで、首相の参拝が今後も続き、この問題がまた浮上することが予測されると述べている(タイトルが秀逸)。
安倍首相を「ナショナリスト」と紹介し、「靖国神社が軍国主義の象徴であるかのような誤解がある」「平和を祈念するために参拝した」というその主張を紹介。一方、中国、韓国の反発を伝えたうえで、「日本の右傾化と軍国主義の台頭に関する米国の懸念に、決定的に油を注ぐ」という見方を伝えています。
AFPからの配信として、「特に中国に関して、尖閣諸島や防空識別圏の問題などで、関係がこれ以上冷え込む余地がないことが、安倍首相にとって参拝をふさぐ障害がなくなった」という英国の専門家の見方、「北東アジアの新たな不安定要因を作り出した」という日本の専門家の見方、「中国に立ち向かう自分を演出することで英雄的なイメージを作り出そうとするチキンゲームに着手した」という中国の専門家の見方などを紹介。
共同通信からの配信として、安倍首相の参拝とその主張、中韓の反発、米国の「失望」と「北東アジアでの緊張を高める」という懸念、さらに日本の有識者の懸念などを淡々と伝えています。
新華社通信からの配信として、安倍首相の参拝が中国国民の感情を深く傷つけ、日本の政治家の参拝が日中、日韓の関係改善を阻害していると伝えています。
AFPからの配信として、靖国神社について簡単に説明した後、主に中国側からの「日本の拡張主義の表れ」という批判を紹介。また、台湾からの批判も伝えています。
中国側の批判をまず紹介し、その後に安倍首相の主張を紹介。いずれの言葉もこれまでになく激しく、既に尖閣諸島をめぐる対立が激しくなっているなかで、参拝が両者からのさらなるレトリックの応酬に発展すると予測。併せて、韓国政府からの批判も紹介。
冒頭に断ったように、このレビューは決して体系的でも網羅的でもなく、検索の上位やニュースヘッドラインの上位にきたものを無作為に取り上げたものです。しかし、多くのインターネットユーザーは国を問わず、よほど時間のある人はともかくとして、ヘッドラインの上位にくるニュースや、検索の上位にくる記事からみていくものではないでしょうか。良くも悪くも、それが国際世論を形成する一要因であることは否定できません。
その意味でいえば、ざっと見た限り-当然と言えば当然ですが-どうみても安倍首相や日本政府に好意的な評価が支配的とはいえません。中国、韓国側の主張が受け入れられているとは言えません。しかし、例えば私が確認したなかで最も中立的な報道とみえたテレグラフの解説記事が述べていたように、少なくとも今回の参拝が日中、日韓の緊張を高めたこと自体は確かです。その意味で、日本が一種のトラブルを引き起こしたと受け止められたとしても、当然です。多くの報道からみてとれるように、そして恐らく事実なのでしょうが、「中国や韓国からの反発が強くあることを、そして米国も懸念を示していることを承知しながらも参拝した」ことが、そして米国が「失望」を示したことが、この見方を強めています。安倍首相が日米同盟を試しにかかっている、というロイターの解説は秀逸だと思います。
そして、多くの日本人が思っているほど、外部からの日本に対する視線は、決してやさしいものではありません。米国、ロシア、ヨーロッパ諸国の大半、中国、これらはいずれも戦勝国であり、まして靖国参拝が中韓を最も刺激する要因で、関係がこれまでになく悪化しているなかでとなれば、論調として「日本の軍国主義の復活」を懸念するものが出たとしても、不思議ではありません。
実際、憲法改正、特定秘密保護法、新しい防衛計画などは、AFPやロイターといった大手メディアで以前から警戒感をもって報道されており、さらにそれは多くの開発途上国、新興国にも配信されています。そして最近では、「ソフトパワー」の拡充を目指す中国が、新華社通信や(アル・ジャズィーラを真似た)24時間の英語放送CHINA24を通じたニュース配信に余念がありません。今回確認できた中では、例えば中東のオマーンという、日本人のなかには「どこそれ」と思うひとがあり得る国でも、AFPにより、中韓の批判、共同通信が行った世論調査の結果(外交関係に配慮する必要がある:69.8%、首相参拝がよくなかった:47.1%)などを記した記事が配信されていました。
一部の日本人が、「親日的」と期待をかけるインドやトルコでも、上で確認したように、同様の傾向がみられます。例えば、さきに示したメルケル首相のスポークスマンの談話は、AFPを通じてインドでも配信されています。これもやはり、良くも悪くも、国際世論を形成する一要因です。
これらのメディアワークで決定的に後れをとっている日本が-仮に安倍首相の「理解を得られるように努める」という意思が本物だとしても-これをひっくり返すことは、きわめて困難です。少なくとも、ごく簡単なレビューからでも、「理解を得られるように努力する」という安倍首相の主張は、オッズが低いと言わざるを得ません。それとも、国際的な支持を得られる、なにがしかの勝算があるというのでしょうか。あるいは、各国にある日本大使館は現地メディアの報道をサーベイしているはずですが、ぜひ外務省にはそれをみせてもらいたいとも思います。
別に、全てを外部の基準に合わせろというのではありません。また、中国や韓国に対して憤懣をもつひとが、この数年で急速に日本に多くなったことは理解しています。しかし、「そんなつもりはない」とか「詳しいことを知らないのに勝手なことを言うな」という反応をして、「首相が参拝するのは当たり前だ」という内輪だけで分かる意見を言い合うのは、極端な言い方をすれば、第三者の視線を無視して電車で座り込む若者グループと同じです。少なくとも、成熟した大人のすることではありません(もっとも、最近では50歳代以上でも他人の視線を気にしない、全く尊敬できない年長者も多くなりましたが)。意見をもつ自由は、他者が意見をもつ自由を尊重して、初めて認められるべきものです。言いっぱなしの主張は、決して国際的に受け入れられるものではありません。
「個人」「人格」を表す英語パーソン(person)は、「仮面」を表すギリシャ語のペルソナ(persona)からきています。古代ギリシャの悲劇、喜劇で役者がつけた仮面は、それをつけることで、観客からみてその役者が誰かになりきることを意味しました。つまり、人間は社会のなかで、なにがしかの役割や立場にあり、いわばその「役割」を演じることで初めて「人間」足り得るという思想がそこにはあります。「攻撃的で、他者からの評価を気にしない」という「仮面」をつけることが、国際社会という社会における日本という「人格」にとって、決して好ましくないことは確かといえるでしょう。
冷戦が終結した1989年から、25年目を迎えました。冷戦終結当時、世界は-少なくとも西側先進国は-ある種の昂揚感、ユーフォリアに包まれました。第二次世界大戦後の世界を覆っていた重石が取れた。これで世界は平和になる。多くの人がそのように感じていたように記憶しています。
しかし、その後の25年間を振り返ってみたとき、そのユーフォリアが一過性のものであったことは、改めて言うまでもありません。2014年を迎えた現在、世界は暗雲で覆われています。昨年一年間を振り返れば、世界各地でテロが横行し、新興国の台頭によって大国間のバランスは流動化し、世界金融危機の影響から抜けきれない国も多く、さらに多くの国では政府などに対する抗議運動が絶えません。なぜ、世界はこれほどまでに不安定化したのでしょうか。
これを眺めたとき、まず見過ごせないのは、米国のリーダーシップが長期的かつ相対的に揺るぎ始めていることです。2013年9月24日、国連総会の演説で、オバマ大統領は「世界におけるリーダーシップの真空」を告白しました。現役の米国大統領自身が、それを満天下のもとで認めたことの意味は重大です。
昨年一年を振り返ってみても、大きなところでいえば、例えば8月に発生したシリアにおける化学兵器の使用が、自ら設けた「レッドライン」を超えるものであることを認めながらも、最終的に米国は介入しませんでした。介入そのものの良し悪しは一旦置いておきます。ここで重要なことは、中ロの反対や同盟国の消極的反応という条件があったにせよ、米国が自ら世界に打ち出した「大量破壊兵器の使用は許さない」という原則が守られず、しかも世界の多くの人がそれを目撃したことです。
もう一つあげるとすれば、10月には連邦議会の上下両院で、民主党と共和党がオバマケアをめぐって対立した挙句に暫定予算案で合意できず、一部の連邦政府機関が閉鎖に追い込まれ、デフォルトの危機すら懸念される事態に陥ったことです。最終的に暫定案が発効したのは10月17日。この間、国内政治に追われたオバマ大統領は、10月4日に開かれたAPEC首脳会議も欠席するなど、国際的に信用を失墜させることになりました。
米国の軍事力、経済力に対する不信感を招く事態が相次ぐことに、米国の内部からも「米国は世界が『米国中心主義』」から離脱する傾向を受け入れるべき」という論調が出ています。なかでも、世界的に名の知れた雑誌『フォーブス』が毎年行っている「世界で最も影響力のある人」ランキングで、今年の一位が、アサド政権に化学兵器の放棄を同意させ、シリアをめぐる膠着状態をひとまず収束させたプーチン大統領だったことは、米国内部の気運を象徴します。
米国の国際政治学者イアン・ブレマーは、中心的な役割を果たせる国がない世界を「Gゼロ」と表現しました。ブレマーによると、西側先進国なかでも米国の国際的なリーダーシップが衰え、新興国との協力が不可欠になりながらも、これらが(例えば温室効果ガス排出規制のように)国際的な責任を負うより自らの国内開発に関心を集中させ、結果的にどの国も国際的な政治・経済体制を構築・制御できない世界になった、というのです。少なくとも昨年一年を振り返ったとき、Gゼロ論は説得力があるといえるでしょう。
ただし、基本的にGゼロの視座を受け入れるとしても、留意しなければならないことが3点あります。
第一に、単純な事実として、米国はいまだ世界で抜きんでて大きな力をもつことです。図1は、各国、各グループのGDPの世界全体に占める比率を示しています。ここから見て取れるように、冷戦終結後の世界において、米国のGDPは全体の25パーセント前後を推移しており、ほぼ横ばいといっていいでしょう。
次に図2は、2012年度の値で比較した、上位20カ国の軍事予算です。ここからは、やはり冷戦終結後、米国の軍事予算は上位20カ国の合計の約40パーセントを占め続けてきたことが分かります。対テロ戦争で苦戦している印象が強いとはいえ、正規軍同士で正面からぶつかった場合、米軍に勝てる軍隊は世界にないといえます。
しかし、米国自身の経済力、軍事力が大きく衰えているといえない一方で、留意すべき第二点目としていえることは、-矛盾しているようにみえるかもしれませんが-その圧倒的な優位は相対的に低下しつつある、ということです。図1、図2のいずれからも、中国をはじめとする新興国の台頭は、今更ながら、はっきり確認できます。
新興国の台頭は、1990年代の世界規模での市場経済化によって加速しました。それまで先進国企業を大規模に誘致し、工業化を推し進め、輸出で外貨を獲得して経済成長を図るスタイルは、韓国、シンガポール、台湾など、アジアNIES(新興工業経済群)と呼ばれる一部に限られていました。しかし、冷戦終結後、西側先進国なかでも米国が熱心に推し進めたグローバルな市場経済化により、生産拠点の移動は当たり前となりました。そして、グローバルな市場経済化の恩恵を最も受けたのが中国やインドだったことは、多くの人が認めるでしょう。
つまり、新興国の台頭は、いわば米国をはじめとする西側先進国によってもたらされた側面があるといえます(後述)。いずれにせよ、新興国なかでも中国の追撃があまりに急激であることにより、米国自身の力に大きな変化がなくても、そしてむしろ科学技術や経済で世界をリードしながらも、そのギャップが縮小し、結果的に米国が「一人勝ち」の世界でなくなりつつあるのです。
そしてこれに関連して第三に、米国のリーダーシップの衰退には、経済・軍事的に同盟国が停滞してきたことに由来する側面がある、ということです。世界において中国など新興国が経済、軍事の両面で比重を増すなか、先ほどみたように米国はいずれもほぼ横ばいですが、米国以外の先進国の比重は縮小する傾向が顕著です。「米国以外の先進国」には、もちろん日本も含まれます。
このデータにおける「先進国」とは、経済協力開発機構(OECD)加盟国のうちの高所得国を指します。OECDは大戦終結直後の1948年に設立された、ヨーロッパの経済復興を支援する「マーシャル・プラン」の実施主体「欧州経済協力機構」(OEEC)を母体とします。すなわち、そもそも「先進国」というカテゴリーは単に所得水準だけでなく、政治的な立場をも含意するのです。この観点から先ほどのデータを振り返れば、経済・軍事の両面で世界レベルの比重を下げているのは、米国ではなく、その同盟国となります。言い換えれば、西側先進国の陣営は、米国を除く多くの国が新興国の台頭に押されているのです。
この状況は、以前のように、米国を中心とする西側先進国の、グループとしての圧倒的な経済力・軍事力で世界をリードすることが困難になったことを意味するため、結果的には米国の影響力は低下せざるを得ません。ブレマーが指摘した、そしてオバマ大統領が演説で認めた米国のリーダーシップの衰退には、同盟国の相対的な衰退によるところがあることは確かでしょう。
しかし、その一方で、「米国のリーダーシップの衰退」は、日本を含む同盟国にいわば「足を引っ張られた」だけが原因とはいえません。米国のリーダーシップは、米国自身によって損なわれた側面があることが否定できません。これを考える際にまず、米国と他の主だった国や地域との関係をみていきます。
冷戦終結後の1990年代、米国はまさに「我が世の春」だったとさえいえるかもしれません。1991年の湾岸戦争では、安保理決議を経た正統な軍事行動としてイラク軍をクウェートから放逐し、一つの成功モデルを確立しました。同じく1991年、ソ連が崩壊し、その国際的な立場を継承したロシア連邦を1998年までに段階的にG8(主要国首脳会議)の一国として迎えることで、憂いを和らげました。経済面では、折からの情報技術革命によって、クリントン政権期(1993-2000)の平均GDP成長率は3.89パーセント(世銀データベースで算出)と、成熟した経済大国としては異例の成長を実現させました。
この間、白人警官による黒人への集団暴行事件をきっかけとするロサンゼルス暴動(1992)、ソマリア内戦への介入の失敗(1993-95)、クリントン元大統領の女性スキャンダル(1998)、そしてコソボ内戦に対するNATOの介入と中ロの反発(1999)などはあったにせよ、米国の国際的なリーダーシップは総じて安定的だったといえます。
まず、同盟国であるヨーロッパ諸国は、やはり冷戦の「勝利」のユーフォリアにあり、さらにマーストリヒト条約(1992)によるEU統合という歴史的な大実験に忙殺されるようになり、市場開放を推し進めようとする米国への警戒感をみせながらも、その関係を再考する切迫した必要に迫られていませんでした。
一方、1990年代、米国はソマリア内戦での経験を踏まえて、海外での軍事行動に安保理決議を経ることを常態化させましたが、コソボ内戦などを除けば、中ロが拒否権を発動することは稀でした。ソ連崩壊後のロシアは、市場経済化の過程で急激なインフレに陥り、アジア通貨危機(1997)の影響もあり、1993年から2000年までの平均GDP成長率はマイナス2.06パーセントを記録。この状況下、エリツィン大統領はクリントン大統領との友好関係を頼りとしていました。そして、中国はやはり1993年から2000年までの平均GDP成長率が10.14パーセントを記録し、爆発的な成長を実現させていましたが、この段階では先進国からの投資への依存度が高かったうえに、江沢民国家主席(任1993-2003)が米国との友好関係を優先させたことから、大きなトラブルは発生しませんでした。
ところが、2000年代に入ると、米国のリーダーシップに大きな疑問符がつくことになりました。「対テロ戦争」、なかでも米国同時多発テロ事件(2001)への報復としてのアフガン攻撃はともかく、「フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」という情報に基づいて行われたイラク攻撃(2003)は、その決定的な契機となりました。
当時、コンドリーザ・ライス国務長官は「マンハッタンにきのこ雲が上ってからでは遅い」と力説し、フセイン政権から国際テロ組織に核兵器が渡り、それが米国本土で炸裂するという最悪のシナリオを回避するためとして、イラクへの攻撃を正当化しました。「危険を事前に除去するための防衛的措置」は「予防先制」と呼ばれましたが、これは(1)確証の乏しい情報に基づいていたこと、(2)仮にイラクが大量破壊兵器をもっていたとしても、それを理由に米国が攻撃してよいという国際法上の根拠は乏しいこと、(3)米国の安全と主権のためなら、他国の同意や権利、さらに国際的なルールも度外視する一国主義/ユニラテラリズム(unilateralism)に基づいていたこと、などの問題をはらんでいました。
そのため、安保理でフランスやドイツが強硬に反対し、バチカンなども懸念を示したのですが、結果的に米国は「イラクが国連の大量破壊兵器の査察に応じず、安保理決議に違反を続けた場合、イラクに対して『重大な帰結をもたらし得る』」という、きわめて曖昧な表現の安保理決議1441(2002.11.8)を根拠にイラクを攻撃。それが9.11後の米国民全体のパニックを背景としたことを斟酌するとしても、これが米国の国際的評価に大きな傷をつけたことは確かです。
これを期に、ヨーロッパ諸国と米国の「大西洋同盟」に隙間風が目立つようになりました。イラク攻撃に付き合った英国、スペイン、ポーランドなどでも、自国軍兵士に死傷者が増え、さらにマドリード(2004)やロンドン(2005)で大規模なテロが発生するに及んで、アフガンやイラクからの早期撤退を求める世論は高まったことは、不思議ではありません。米軍のグアンタナモ基地における「捕虜」(米軍は捕虜ではなくテロリストという犯罪者と位置付けている)虐待もまた、人権規範に敏感なヨーロッパで米国への違和感を大きくするものでした。
その結果、ブッシュ政権(2001-2008)の末期に至るまで、フランス大統領やドイツ首相との個別の会談は、ほとんど行われなかったのです。2008年大統領選挙でオバマ陣営の外交問題顧問を務めた政治学者のズビグネフ・ブレジンスキーが、2009年初頭の論文のなかで、オバマ大統領の課題としてヨーロッパ諸国との関係改善を強調したことは、示唆的です。
少なくとも公式には、ヨーロッパ諸国が概ね人権や国際法を尊重する観点から米国主導のリーダーシップに疑問を呈したのですが、これに対して中ロは米国と、少なくとも「対テロ戦争」の初期においては、極めて友好的な関係を築いたといえます。ウイグル自治区での暴動やチェチェンの武装活動を中ロが「テロリスト」と位置付けたことで、米国ブッシュ政権は両政府による苛烈な鎮圧をむしろ歓迎するようになりました。両国は1999年のコソボ内戦に対するNATOの「人道的介入」以来、米国への警戒感を強めていましたが、「対テロ戦争」が両者の蜜月をもたらしたのです。
人権侵害すら「対テロ戦争」の文脈で正当化された一方、米国政府は「人権」レトリックを用いてイスラームを批判することも稀ではありませんでした。2005年に米国政府が打ち出した「拡大中東パートナーシップ構想」では、中東・北アフリカ諸国の民主化促進が掲げられました。「テロリストが出てこないようにするためには、政治的な対立を暴力を用いずに解決できる民主主義が欠かせない」という論理です。
個人的には、この考え方そのものを支持することに吝かではありません。しかし、問題は中東・北アフリカ諸国の非民主的な政治体制の多くが、リビア、イラン、シリアなどを除いて、石油を確保するため、あるいはテロ組織の台頭を抑えるため、長く米国あるいは西側先進国によって支援されてきたということです。大量破壊兵器が発見されなかった後、米国ブッシュ政権がイラク攻撃の大義を「独裁者を倒したこと」と「中東の民主化」に強引に切り替えたことに鑑みれば、「中東の民主化支援」が自らの不手際を覆い隠すための米国政府のレトリックであったという捉え方も可能です。しかし、いずれにせよ、これがサウジアラビアなど中東・北アフリカの西側寄りの諸国政府からみたとき、米国のご都合主義としてだけでなく、いきなり「梯子を外された」と写ったとしても、不思議ではありません。
その一方で、2000年代以降の米国では、イスラームへの反感が広がりが顕著でしたが、これがイスラーム圏における反米感情をさらに加熱させる契機となりました。2012年9月にはムハンマドを侮辱的に描いた米国映画'Inocence of Muslims' に対する反米デモが、中東・北アフリカだけでなく、南アジアのパキスタン、東南アジアのインドネシア、さらにムスリム系市民の多い英国やオーストラリアなどでも発生しました。「表現の自由」を理由に米国政府が You Tube 上での規制を敷かなかったことは、反米感情の広がりに拍車をかけました。
「人権」と「テロ対策」は両立すべきテーマです。ただし、そのブレンドあるいは配合の仕方には、当然のごとく政府や責任者の価値観が反映されるため、どうしても恣意的なものとならざるを得ません。しかし、むしろ問題は、その両立が恣意的であることより、その配合が当該国の外にある、米国政府の基準で行われる事態があまりに頻繁に発生したことです。言い換えれば、どこまでなら「テロ対策」として認められる、何をすれば「人権侵害」かという基準を、米国政府が声を大にして世界に喧伝するようになったといえます。
この傾向は、ブッシュ政権ほどあからさまでなくとも、国際協調を旨とするオバマ政権でも無縁ではありません。パキスタンなどで行われている米軍の無人機による攻撃は、数多くの民間人の死傷者を出しており、さらには国際法に違反するという批判が寄せられています。これに対して、オバマ政権は無人機攻撃が「合法的」であり、民間人の死傷者も部隊が直接的に活動するより少ないため「倫理的」と主張して譲りませんが、国際的に広く支持されているとはいえません。
「対テロ戦争」は中東、南アジア、北アフリカなどを主な舞台とします。しかし、いまやその活動は世界の多くの人々にみられ、評価されます。そのなかで、「人権」と「テロ対策」の二つの原理を自らの都合で使い分け、さらにそれを他国に強要する米国の姿勢が、好意をもって広く受け入れられるはずはありません。
先ほど確認したデータで表される経済力や軍事力は、いわば「力の源」です。しかし、力が大きいだけでは、人はついてきません。リーダーシップを発揮するには、言い換えれば自発的なフォロワーを増やすには、損得計算に働きかけたり、強制力を行使したりするだけでなく、その言葉や行動に「魅力」が必要です。米国が世界中で影響力を発揮できた背景には、経済力や軍事力の大きさだけでなく、それらに裏打ちされた豊かな生活、自由な社会、クリエイティブな文化風土などが、多くの人を引き付けてきたことがあります。文化や価値観によって、強制ではなく、支持や信頼を得られる力を、国際政治学者ジョセフ・ナイは「ソフトパワー」と呼びました。この米国の「ソフトパワー」は、「対テロ戦争」で大きく損なわれたといえるでしょう。同時に、これが米国のリーダーシップを損なった大きな要因であることもまた、疑い得ないところです。
米国のリーダーシップが損なわれた2000年代半ば以降、中ロはその間隙をつくように、これまで付き合いの浅かった、言い換えれば米国の影響の強かった地域や国へのアプローチを強めています。中国の場合は2010年のハイチ大地震に対するPKO派遣、ロシアの場合は「アラブの春」で生まれたモルシ政権を打倒したエジプト軍事政権との2013年の安全保障協力協議などが、その典型です。
多くの国にとって、投資の主体や貿易の対象が、別に西側先進国でなければならないというわけでないことは、言うまでもありません。すなわち、新興国の台頭だけでなく、米国が推し進めたグローバルな市場経済化そのものも、米国のリーダーシップを徐々に侵食する要因といえるでしょう。
同時に、(時に単なるレトリックであったとしても)やはり米国が推し進めた世界レベルでの民主化は、これまた米国のリーダーシップへの懸念材料となる側面があります。図3は、中東各国で2003年に行われた調査の結果です。「イスラームには本質的に自由や民主主義を抑圧する側面があり、これらの普遍的価値を理解させることはできない」という「イスラーム本質主義」が米国で広がった、そしてイラク攻撃が行われた、まさにその年の調査からは、中東各国のムスリムには、国ごとに差はあれ、そして彼らのいう「民主主義」がどのようなものを指していたにせよ、基本的に民主主義の価値を受け入れる姿勢をみせるひとが多かったことが確認されます。
しかし、世界的に民主化を推し進めようとした歴代の米国政府の関係者たちは恐らく理解していなかったかもしれませんが、民主主義の価値観が普及することと、その国が親欧米的になることは、決して同義ではありません。インド、インドネシア、ブラジル、トルコなどにみられるように、国民の投票で選出された政府が、欧米諸国なかでも米国と距離を置いて付き合うことは、珍しくありません。
図3にもあるトルコは、政党政治が定着した、中東で稀な国と位置付けられてきましたが、同国では2002年にイスラームの価値を強調する公正発展党が選挙で政権を獲得しました。そして、トルコでもやはり、'Inocence of Muslims' に対する抗議デモをはじめ、反米デモは頻繁に起こっています。また、エルドアン首相は米国連邦予算が執行できない事態に、「我が国政府は政府職員に給与を支払わなかったことはない」と誇らしげに語ったとロイター通信は伝えています。
つまり、民主主義が普及することは、国民が意見や要望を表現しやすくなることであり、それが結果的に、従来は権威主義体制のもとで覆い隠されていた反米世論を噴出させることすらあるのです。その場合、当該国の政府は、政府間の関係としてワシントンと決定的な対立は避けるにせよ、少なくとも表面的には米国への批判を行いやすくなります。これもやはり、米国自身が推し進めた変化が、米国のリーダーシップを侵食するものといえるでしょう。
念のために繰り返せば、米国が世界最大の経済力、軍事力を備えた国であることに、この25年間に大きな変化はありません。一般に超大国(Super power)と呼ばれるものは、国際政治学において覇権国(Hegemon)とも呼ばれます。19世紀の覇権国は、文句なしに、「七つの海を支配した」英国でした。しかし、その英国は20世紀に入る頃、工業生産高で米国に抜かれ、やがてドイツにも抜かれました。英国の圧倒的な覇権が揺らいだことが、そして当時「孤立主義」の原則をとっていた米国が覇権国の座に就く意思をもたなかったことが、二度の世界大戦を引き起こす国際政治環境を醸成する大きな要因となりました。当時の英国と比較すれば、米国はいまだ覇権国と呼べるにふさわしい「力」を備えているといえるでしょう。その意味で、「世界大戦がすぐ発生する」などと煽る必要も乏しいでしょう。
ただし、最大の「力」をもつ米国の、リーダーとしての「魅力」が色あせつつあることもまた確かです。そして、米国のソフトパワーが衰えつつある状況は、次回の大統領選挙でどの候補が勝っても、おいそれと回復できないといえます。日本ではいまだに、米国の大統領制、二大政党制を一般的なモデルと捉えるひとが多くいますが、先進国のなかで米国と同様の政治体制を備えた国はありません。そして、厳格な三権分立に基づく大統領制と、イエス・ノーを明確にする二大政党制・小選挙区制は、社会内部の分裂を加速させる契機となります。「キリスト教徒で一定の所得がある白人」という共通項が支配的だった時代と異なり、米国社会内部の亀裂が深刻化している現代は、何らかの国際的な方針を大統領が打ち出すことは、国内政治上のリスクに容易に転化しやすい時代でもあるのです。これもやはり、米国のリーダーシップを制約する一因といえるでしょう。
その一方で、米国を取り巻く国際環境は、もはやほどくことができないほどもつれています。米国自身が推し進めた市場経済化で新興国が台頭し、米国自身が推し進めた対テロ戦争で「人権」と「テロ対策」の齟齬やユニラテラリズムが露わになり、そしてそれに対して米国自身が推し進めた民主化によって、各国における反米世論が噴出しやすくなる。このような行き詰まり、窮迫は米国のリーダーシップが構造的に揺らぎ始めていることを示しています。覇権国・米国が抱える憂鬱は根深いものであり、そのリーダーシップが衰えることに関する評価は様々あるとしても、世界が今後ますます流動化することは確かといえるでしょう。
歴史家で国際政治学のパイオニアの一人と目されるエドワード・カーは、1939年に出版した『危機の二十年』において、第一次世界大戦の終結に当たってヴェルサイユ条約が結ばれた1919年からの20年間を、「危機」と表現しました。この20年間は、一方で国際連盟が創設され、戦争が国際法で取り締まられるようになったり、海軍軍縮条約で主要国間の軍備バランスが確認されるなど、世界平和に向けた取り組みが活発になった時期でした。
しかし、カーはそれらの取り組みが、基本的に'ought to' つまり「~であるべき」という理想に基づき、制度や法律を整備するのに忙しく、'be' つまり「~である」という現実認識を欠いたものであったと総括しています。実際、世界恐慌後に「生存圏」を確保するためにドイツ、イタリア、そして日本が行った対外膨張に対して、国際連盟や国際法は無力でした。そして、カーが『危機の二十年』を発行したまさに同じ年、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が幕を開けたのです。
この記事のタイトル「窮迫の25年」は、言うまでもなく『危機の二十年』からヒントを得たものです。
冷戦終結後の25年間は、市場経済化と民主化が世界を覆った時代でした。先ほどもあげたジョセフ・ナイをその嚆矢として、国際政治学では「通商の増加は、国家間の相互依存関係を深めるため、戦争を抑制する効果をもつ」と考えられています。また、それほど幅広く受け入れられているとは言えないにせよ、特に米国の国際政治学の世界では、ブルース・ラセットらによって「民主的な政治体制のもとでは国民の戦争回避の欲求を政策に反映させやすいため、世界レベルで民主主義を普及することが戦争を抑制する」と考えられています。先進国なかでも米国が、冷戦終結後に世界レベルで市場経済と民主主義を広げようとした背景には、政権ごとに濃淡はあっても、これらの発想があったといえます。
しかし、世界がこれまでになく市場経済化と民主化を経験したこの25年間は、果たして世界が平和に向かうプロセスだったといえるでしょうか。それは、カーが言うところの、'ought to' の発想に基づくものでなかったと言い切れるでしょうか。冒頭に述べたように、各地で対立や摩擦が噴出し、大国間の軋轢が顕在化する様相からは、世界全体がある種の行き詰まり、窮迫に向かう趨勢を見出すことができます。これに鑑みたとき、少なくとも市場経済と民主主義に世界平和に関する万能の効能を期待することはできません。
しかし、ただの悲観主義に陥ることは、単なる楽観主義と同様に戒めるべきでしょう。後世の一般的な評価において、カーは理想を語らず、現実を直視することの重要性を説いた「リアリズム国際政治学」の始祖の一人と目されます。しかし、『危機の二十年』からは、カーの別の側面を見出すこともできます。
「リアリズムが、ユートピアニズムの繁茂するさまを抑える矯正のはたらきとして必要とされる段階があるのであり、同じように他の時点ではユートピアニズムが、リアリズムのもたらす不毛な結果を防ぐために呼び出されなければならないのである。未成年の思考は、どうしても目的にむかって走りがちとなり、いきおい際立ってユートピア的となる。とはいえ、目的を全くしりぞける思考は、老齢の思考である。成年の思考は、目的を観察および分析と化合させる。こう考えると、ユートピアとリアリティとは、政治学のもつ二つの様相である。健全な政治思考と健全な政治生活とは、ユートピアとリアリティとがともに適切な在りようをとるところにのみ見出されることになる」(日本語訳:井上茂『危機の二十年 1919-1939』、岩波書店、34-35頁)。
カーの指摘を踏まえて現代を振り返ると、市場経済や民主主義に関するアプリオリな楽観主義と、逆にこれらに対する単純な悲観主義は、いずれもとるべきでない道といえるでしょう。特に後者の場合、いかに万能でないとはいえ、市場経済や民主主義を捨てることがよいことなら、北朝鮮が世界で最も素晴らしい国となります。すなわち、市場経済や民主主義は基本的に不可避の原理であり、重要なのは、これらが社会の不安定や国家間の摩擦、さらに国際的な秩序の崩壊を引き起こすことを抑制するための規制や管理を、どこまで認めるかということです。そして、それに関する'ought to' を探るためには、'be' を知るところから始めるべきことを、現代の我々にカーは説いているように思えてならないのです。
2011年にスーダンから分離独立を達成した南スーダンで、戦闘が激化しています。12月15日、首都ジュバで軍の一部が蜂起し、これを鎮圧しようとした部隊との衝突を皮切りに、19日には要衝ボルが反乱部隊によって制圧されました。既に多くの市民に犠牲が出ている他、米国人の救援にあたっていた米軍機が被弾するなど、深刻化する事態に、米国のオバマ大統領や国連の潘基文事務総長が相次いで憂慮を示しています。さらに、同国で油田開発などに携わっている外国人も相次いで退避しています。
南スーダンが全面的な内戦に陥った場合、それは独立したての南スーダンの将来に悲観的な前途を予感させるだけでなく、地域一帯の不安定化を促すことも懸念されます。のみならず、南スーダンの問題は、日本のアフリカ政策や国際協力にも深く関わるといえます。
先述のように、南スーダンは2011年7月に、スーダンからの分離独立を達成しました。この独立の経緯や意義については、以前に取り上げた通りです。ただし、そこで懸念として触れていたことが不幸にして結果的に当たってしまったのですが、今回の内乱は「南スーダンのスーダン化」と言えます。
もともと一つだった頃のスーダンは、北部にアラブ系ムスリムが多く、南部はアフリカ系キリスト教徒が中心で、人口に勝る北部が南部を支配する構図が定着していました。北部のイスラーム政権を率いるアル・バシール大統領が、イスラーム法を強制するなどしたこともあり、南北間での内戦が激化。結局、2005年1月にアル・バシールと、南部の解放闘争を率いたスーダン人民解放戦線(SPLA)のジョン・ギャラン指令の間で、即時停戦や6年間の暫定統治の後に独立の賛否を問う住民投票を行うことが合意されたのです。
この合意に基づき、スーダン南部では2011年1月に住民投票が行われ、7月に独立を達成しました。しかし、これにともない初代大統領に就任したのは、ギャラン氏ではなく、サルヴァ・キール氏でした。ギャランはバシールとの合意から間もない2005年7月、ヘリコプター事故によって死亡していました。この事故には陰謀説も飛び交いましたが、真偽は不明です。いずれにせよ、ギャランの跡を受けてSPLAを率い、初代大統領となったキールは当初、地域ごとのバランスに配慮した政権を樹立しました。そのなかで、副大統領に就任したのが、今回の内乱の一方の当事者となったリエク・マシャール氏でした。
マシャールは英国ブラッドフォード大学で哲学の博士号も得たインテリで、ギャランとともにSPLAを率いた経験も持ちます。しかし、スーダン全土を南部中心の国とするか、南スーダンとして独立するかといった路線の対立だけでなく、ディンカ人のギャランとヌエル人のマシャールというエスニック(民族、部隊)な対立も顕在化し、1994年にマシャールは一度SPLAから脱退しています。【Feyissa, Dereje (2011). Playing Different Games: The Paradox of Anywaa and Nuer Identification Strategies in the Gambella Region, Ethiopia. Berghahn Books.】
その後、マシャールはヌエル人主体のゲリラ組織・南スーダン防衛軍(SSDF)を結成し、北部に対する武装活動を展開しましたが、2002年にSSDFを率いて再びSPLAと合流。独立にともない、SPLA内部での実権を固めていたギャランの後継者で、やはりディンカ人のキールを補佐する形で、副大統領に就任したのです。
この経緯が示すように、キールとマシャールは、同じSPLAに所属しながらも、基本的には別の派閥で、しかもマシャールが旧SSDFメンバーに支持されていることからも、必ずしも良好な関係ではありませんでした。その冷たい対立が火を吹いたのは、今年7月にキール大統領がマシャール副大統領を含む閣僚を一度に罷免したことでした。マシャールはこれを「キールの独裁化」と非難。一触即発の状況下、軍内部のマシャール派による蜂起により、今回の武装衝突に至ったのです。
周知のように、アフリカの国境線は、19世紀のヨーロッパ列強の植民地化によって引かれた境界線をもとにしています。南スーダンの独立は、初めてこれを変更したもにであり、その意味で世界史的に意味があります。
一方で、かつてスーダン内部であった人種、宗派間の対立が、南スーダンにあってはエスニックな対立に置き換えられていると言えるでしょう。これらの文化的な差異が対立に至る背景には、政治権力が経済的利益に転換する構造があります。南スーダンは産油国で、かつてのスーダンにあった油田の約8割を抱えます。
石油などの資源が出ることが、政府収入とともに汚職を増加させ、さらに権力者が物質的利益で自らの支持者を囲い込む一方で、自らに敵対的な集団を強権的に抑え込む傾向を強くすることは、「資源の呪い」と呼ばれる現象の一環です。キール大統領の閣僚罷免は、この文脈から理解されます。また、蜂起から間もない22日、マシャール派の部隊が油田地帯のユニティ州(今の南スーダンに鑑みてなんと皮肉な名称か)を制圧したことも、偶然ではありません。いずれにせよ、南スーダンの対立は、異なるグループ同士の政治的、経済的利害をめぐる対立という意味においてかつてのスーダンと同様であり、それがここでいう「南スーダンのスーダン化」なのです。
一方、南スーダンの問題は、日本にとっても無縁ではありません。自衛隊は2008年10月から、当時のスーダン南部で展開していた国連スーダン・ミッション(UNMIS)に要員を派遣しており、現在は陸上自衛隊の330 名規模が施設部隊がジュバに駐留しています。
本来、PKO部隊の派遣は、防衛省・自衛隊の管轄です。しかし、その他のPKOミッションと同様に、そしてその他のPKOミッション以上に、南スーダンへの部隊派遣は外務省の強い要望によって実現しました。
もともと、自衛隊のPKO参加の第一号である1992年の国連カンボジア暫定機構(UNTAC)への派遣は、その直前の湾岸戦争(1991)で憲法上の理由から部隊を派遣せず、130億ドルを拠出したにも関わらず、国際的にほとんど評価されなかったことのショックから、外務省が推進して決議された1992年の国際平和維持活動協力法に基づくものでした。さらに、この背景には、やはり1990年代の初頭から外務省が掲げた、国連改革と安全保障理事会常任理事国入りという目標がありました。そこには、安保理常任理事国となる、言い換えれば政治大国を目指すためには、「カネだけでなくヒトも出す」必要がある、という認識があった(ある)と言えるでしょう。
安保理常任理事国入り問題はさておき、紛争地帯の安定に寄与することは国際社会の安定に欠かせず、引いては日本の安全にも関わるという意味において、PKO派遣そのものの意義はあると思います。ただし、自衛隊の場合は武器使用の制限が他国以上に厳しく、現場レベルでの活動に制約があります。2001年の法改正で、従来の「要員の生命保護のための必要最小限の武器使用」だけでなく、「自己の管理下に入った者(例えば避難民など)」や「武器、弾薬などの防護」のために武器が使えるように基準を緩和しました。しかし、他国の(PKO部隊を含む)軍隊への攻撃に対して自衛隊の部隊が反撃することや、離れた場所にいる文民を保護するために駆けつけて武器を使用することは認められていません。
このため、自衛隊の部隊は停戦監視と治安維持というPKO本来の目的を遂行することが困難です。今年1月のアルジェリア人質事件の後、自民、公明両党は自衛隊法の改正提言をまとめましたが、その際にも武器使用基準は最終的に維持されました。この観点から、自衛隊のPKO派遣が、戦闘に直面する危険性が比較的少ないミッションや、そのリスクが低い地域への派遣が多く、しかもその任務の多くが物資輸送や道路整備などの復興支援にかかわるものであったことは、不思議ではありません。
ところが、南スーダンは、武器が多く出回っており、さらに近隣には中央アフリカ、ソマリア、ウガンダなど、ムスリム系、キリスト教系を問わずゲリラ組織が跋扈する国が多いため、これまでに自衛隊が派遣されたカンボジアや東チモールなどと比較しても政情が不安定です。そのため、防衛省がこれに難色を示したのですが、他方で治安が悪い土地への派遣ほど対外的なアピール効果が高いことから、外務省はむしろ積極的で、これにより2012年の部隊増派が実現しました。
今回の武力衝突を受けて、政府は「自衛隊の駐屯しているエリアは概ね平穏」と説明しています。かつてイラクへの自衛隊派遣をめぐり、国会での質疑のなかで「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と豪語した小泉元首相を思い出してしまうのは、私だけでしょうか。
ともあれ、仮に自衛隊の駐屯しているエリアで戦闘がほとんど発生していないとしても、そもそも現在の南スーダンで安全な場所は、ほとんど想定できません。つまり、いつ何時、自衛隊の駐屯しているエリアやその近辺で戦闘が発生してもおかしくないと言えるでしょう。PKO部隊は積極的に戦闘に関わることを目的としませんが、かと言って襲撃の対象にならないわけではありません。南スーダンでは19日、国連南スーダン派遣団(UNMISS)基地がマシャール派とみられる部隊に襲撃され、インドからのPKO要員が3名殺害されています。
例えば、他の国連PKO部隊が襲撃された場合、あるいは近隣で文民がゲリラ組織に襲われている場合、自衛隊の部隊は国内法を優先させて関与しないべきなのか、それともPKO活動の国際的なスタンダードに従って可能な限り救援に向かうべきなのか。そこに関する議論は棚上げにされたまま、対外的なアピールのための派遣という既成事実だけが積み重ねられてきたのが、日本のPKO派遣といえるでしょう。一番気の毒なのは、判断を縛られながら判断を求められる、現場の自衛官です。政府・外務省はいうまでもないことですが、市民・有権者の側にも、最悪の事態を軽視する、正常性バイアスに近いものがあるのかもしれません。
武器使用に制約が多いのは、いかなる形であれ、現地で戦闘にコミットすることを忌避する思考を背景にするといえるでしょう。しかし、PKO部隊を送り出すということは、例え意図的でなくとも、戦闘にかかわる可能性があることをまず再認識すべきだと思います。対内的なアピールとして武器使用を制限して自衛官の手足を縛りながら、対外的なアピールとしてかつてなく危険な地域に部隊を派遣するという、パッチワークのような対応をしてきたツケが露呈しつつあるのであり、「自衛隊のいるエリアは概ね平穏」と言って済ませられる話ではありません。
そして、これは国際協力全般にとってだけでなく、日本の対アフリカ・アプローチにも関わる問題です。これまで再三取り上げてきたように、アフリカではテロ組織の活動が活発化しています。安倍総理は今年6月のアフリカ開発会議(TICAD V)で、アルジェリアの事件を念頭に、安全保障分野でのアフリカへの協力として、PKO訓練センターへの支援などを通じて、今後5年間に3000名の平和構築にかかる人材を育成することなどを約束しました。そこでは明言されていませんが、この地へ急速に進出する中国を念頭に、アフリカにおける国連PKOミッションへの参加も増える可能性は小さくありません。すなわち、同様のデッドロックが今後ますます増えることは、容易に想像されるのです。これらに鑑みれば、南スーダンでの内乱は、今後の自衛隊PKO派遣や対アフリカ・アプローチを占う試金石でもあると言えるでしょう。